期間:2023年7月8日(土)- 7月25日(火)
日東堂は、「日本の藝と道具」の未来を担う作り手を応援しています。
11回目となるこのたびの展示では、
入江佑子さんの作品を展示・販売いたします。
やわらかなフォルムと、
ざらついたテクスチャ。
入江さんの手がける作品は、
見る人を緊張させない、
やさしいあいまいさを纏っています。
陶芸作品にはおおむね、
正面と呼ばれるビューポイントが
決まっているものですが、
入江さんの作品にはそれがありません。
どこからどのように見てもその時々の見え方があり、
作者の設定した作品への視点を見る側に感じさせない
佇まいに目が安まります。
そのような余白のある作品が
どのように生まれるのか、お話をお伺いしました。
美術大学で陶芸によるオブジェを
制作していた入江さんは、
当時から自身の作品から感じられる作為を
とても敏感に捉えていました。
考えてつくると、
見たことのあるものになってしまうという思いから、
泥状にした土を流れるままの形で作品にしたものや、
簡単に割れてしまうごく薄いものなど、
素材の動きや性質に優しく手を添えるような
作品づくりを心がけていたそうです。
そのような自由で制限のない表現から、
用途のある器や道具という制限のある中で
自身の表現を模索することへと
好奇心が移り変わり、
現在の作品づくりが始まりました。
入江さんの作品は、
かろうじて機能を満たす道具であり、
限りなくオブジェに近いと言えます。
近くの川で拾ってきた石を箸置きとして使うように、
ものの使い途は使用者によって
見出される側面があるはずです。
道具であるというただ一つの制限の中で、
めいっぱい自由につくられる作品のおおらかさは、
思いもよらない使い途を
示してくれるかも知れません。
作品が作品たる理由は、
ひとえに作家が制作の手を止めるまでの感覚が、
われわれが見て触れられる形あるものに
写し取られているからです。
とくに、入江さんのように
対称性や正確性から解放された作品の形からは、
そのような作家の感性がより強く感じられます。
また、入江さん自身も
できあがった作品の形をとおして
今の自身の状態を確認するような
側面があるそうです。
正解をはじめから決めることなく、
手の感覚に従いながら、
今まさに自分が気持ちいいと感じるかたちを
写しとる姿勢は、
とても素直で正直な制作手法ではないでしょうか。
そんな健やかな手から生まれるからこそ、
見た人の心がほどけるような
作品になるのかも知れません。
ぜひ、会場でご覧いただければ幸いです。